残された幕府側の兵士たちの件
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京都の兵力=政府軍5000人
大坂の兵力=幕府軍15000人+榎本艦隊
しかし幕府側の兵士たちは戦う事なく1月7日に大坂城を退去
処刑されることはなく、江戸や国許に帰って行ったと考えられます
そもそも京都の新政府軍5000人では
大坂の幕府軍15000人に兵力で劣る上に、
京都御所を死守する兵も必要でしょうから、
新政府軍が大阪城に兵を差し向ける余裕はないと思います
備考ですが
榎本艦隊は江戸湾に向け出港
江戸で慶喜公に再会した榎本は「腰が抜けたのか!」と怒ったそうです
慶喜公と一緒に逃げた人の件
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人数は不明ですが
老中の板倉勝静や酒井忠惇
会津藩主の松平容保、桑名藩主の松平定敬
ほか側近数名とのことで
江戸に着いた慶喜公は
慶喜「 京都にいて脂がぬけた、ウナギが食いたい 」
と、大黒屋のウナギを所望しています