人間の理想象は人類の理想象か物事への理解が深まり、泰然自若でいられることを達観といいますしかし、それが常態化すると心の動きが鈍化する弊害もあるのではないかと思います達観は、経験から諸事万端を適切に整理できるようになるわけですが、事象を理屈で捉えるので、世の中の出来事に心が反応しなくなり、ある程度の年齢になれば流行に疎くなってそのうち時代に取り残されます悟りも同様に、執着を捨て煩悩を無くすことで平穏な日々を迎えることは出来るのかもしれませんしかしそれは、人類すべてが目指すものでは無いと思います執着は人類に新たな進化や発展をもたらす指向性を持つからです皆が皆、欲が無くなり、執着せず、苦しまなくなれば、世の中は発展するのか人間が理想とする人格、あるいは仏教の目指す解脱(悟り)というのは、あくまで、凡庸な人間の目指すところであって、人類というマクロな視点で見れば、根底を支えるセイフティネットのような位置づけと考える方が妥当かもしれないモーツァルトやベートーベン、ゴッホやピカソが達観していれば、きっと世の中は退屈だっただろうし、エジソンやジョブスが悟っていたら、今の世の中はなかったと思います坊主は屏風に上手に坊主の絵を描くくらいで、イノベーションはおこせません皆さんは「達観(悟り)」は、一般的には人間の理想状態のように捉えられていますが、人類にとっても理想であると思いますか?

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1229559

2026-01-24 16:15

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参考。



>仏教における出家と在家の二重構造



https://youtu.be/ec80WpCqM-I?si=R786YdKLcN9Bu5JK

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