明智光秀には将来の展望がありませんでした。
人を味方に付けるという人望も無く、戦いを続けるための兵力を増やすための矢銭こと軍資金の蓄えがありませんでした。
当時、毛利領語国内の鞆にいた足利義昭と荒木村重・村次たちに連絡が取れたとして、彼らは陸路と海路のどちらを利用して畿内に戻るのでしょうか?
そして、その時に彼らを守る兵力を出すのは、誰でしょうか?
毛利元就の娘婿や、乃美宗勝の嫡男盛勝までが羽柴秀吉に調略されていました。
毛利輝元本陣でさえ、兵粮や武器が不足し、海路ではなく陸路で運んでいた状態になっていました。
本能寺の変のことを知った義昭が絶好の機会だから、私を京都に連れて行けと毛利輝元・小早川隆景・吉川元春に命じても誰も助けてはくれませんでした。
蛇足ながら、乃美宗勝は小早川隆景の重臣です。