ほとんどは江戸時代に「思想家」と呼ばれたわけではなく、各分野で特別な考えを持ち、際立った生き方をした人を、後世(現在)、そう呼んで(括って)いるだけです。
それぞれ町人や農民に属しましたが、これは各自既定の階層に属し、その人別帳に載っていました。
例えば農民ながら農業・経済に独自の思想・方策を持って真岡の桜町陣屋を建て直し、武家並みに扱われた二宮尊徳。町人ながら天皇陵の調査・研究で宇都宮藩の御用を務め『山陵志』ほかの文書を著した蒲生君平などは、当時でも身分からはみだした存在でした。
また、林羅山の林家など「儒家」は武士でもなく、髷も結わない「総髪」で生活していて、「どの階層にも属しない」まさに思想家としか言いようのない存在でした。医者などと同じです。
武士ではなくても高度な知識と実績があれば「幕臣」として公儀に雇われ、公用を務められたわけです。しかし儒家は武家からは役立たずと蔑視された一面もありました。
一方、由井正雪などの「自称軍学者」は無数にいて、武士でもないのに浪人同様仕官を求めて活動してましたが、これは思想家と呼ぶにも当たらないことがほとんど。公式には単なる浪人(無職)で人別にも載っていません。住所不定であれば浪人狩りにあって溜めに収容されてもおかしくはありません。