「ベルリンの分裂」は極端な場合「一つのビルが壁で分断されている」みたいな厳格さで、とても越えられるものではありませんでした。
ただ、「戦前に作られた地下鉄」は、「東側地区がブランデンブルグ門に向けて突き出していた」関係で、「何駅か東を通るだけで、ほとんどは西側」という線があったんです。
もともと「地下鉄は管理が容易で、東西交流は地下鉄で管理されている部分もあった」訳で、私も地下鉄駅経由で東へ入ったこともあります。
そういう路線は「東地区に属する駅は閉鎖して、停車しない」し、各駅も当然に管理されていますから、当然に「通過できる可能性は無い」訳です。
ともかく「亡命」には、いろんな手段が試みられた時代もあった訳ですが、そういう「誰もが考えるような方法」はまず不可能、そんあことするんなら、もっと可能性のありそうなところはいくらでもありました、もちろん、現実的には不可能ですが。
それに「ベルリンの壁」は、朝鮮とは違い、「無理はするな、いずれ一緒になろう」と西側からも呼び掛けている部分が、少なくとも1970年代くらいでさえありました。
その意味では、「東西対立とは別な、ドイツ人の心情」が露骨に存在する部分もあったので、そんなムードではなかったですね。
そもそも、「西ドイツから西ベルリンへの列車」は夜じゅうかけて「東ドイツ国内を走ってくる」訳ですから、遥かに広い可能性があったことにもなる訳です。