この意見は一見「冷静で理性的」に見えますが、実際には選択的夫婦別姓推進論の弱点を正確に突いており、だからこそ推進派にとっては極めて都合が悪い指摘だと思います。
まず、「本当に困っている人がいて、通称では足りない理由を明確に説明せよ」という点。これは当たり前の制度設計上の要請ですが、推進派はこの説明をほぼ一度も果たしていません。現実には、旧姓使用は官民で急速に拡大しており、金融、パスポート、職場、研究活動などで実務上の不利益は大幅に解消されています。それにもかかわらず「法律上の姓でなければ意味がない」と言うなら、それは不便の解消ではなく理念・象徴・価値観の問題です。鈴木氏が言う通り、まずそこを切り分けなければ議論になりません。
次に「選択的だから他人に影響はない」という主張への疑義です。これは事実に反します。夫婦別姓は、戸籍、住民基本台帳、マイナンバー、税・社会保障、金融の本人確認など、社会インフラ全体に影響する制度改変です。「選ばない人に影響はほとんどない」と言うなら、その根拠とコスト、システム改修範囲、子どもの姓の扱い、行政実務の複雑化を客観的に示す責任がありますが、これも提示されていません。
さらに重要なのは、「感情」や「価値観」と切り離して議論すべきだ、という点です。現状の推進論は「可哀想」「不公平」「時代遅れ」という情緒的スローガンが先行し、制度改変としての合理性・必要性・副作用の検証が欠落しています。これは立法論として極めて危険です。
要するに、この意見は「慎重論」ではなく、制度改変を主張する側に最低限求められる説明責任を突きつけているだけです。そして、その要求に正面から答えられていない現状こそが、選択的夫婦別姓が今なお実現していない最大の理由でしょう。推進派が反論できずに「価値観の問題だ」と逃げる限り、議論は前に進みません。